志望動機
大学時代、一切就職活動をしませんでした。
営利を求めるような組織に自分が向いているとは感じられない一方、やりたいものを見つけることができなかったので、「これだ!」といったものが見つかるまで勉強を続けようと考え、一旦大学院に進学を決めました。しかし大学の卒業旅行で初めてタイに行ったのをきっかけに、日本に帰って来てから毎日、社会に対して自分は何ができるのだろうかと考え続けるようになりました。恥ずかしながら、そういったことを真剣に考えるようになったのはそれが初めてのことでした。
スポーツの経験はなかったものの、特にそれまでに大きな病気や怪我をしたことがなく、ボランティア精神もあった自分に何かピッタリの仕事があるはずだと考え、大学院入学直前からいろいろと情報を集めるようになりました。そして間もなく見つけたのが消防でした。
「消防士」という3文字が目に入った瞬間、ハッキリと心が決まり、快晴の空のような気持ちになりました。あの瞬間は忘れられません。
資格ガイドのような本には「安定の公務員」といった謳い文句が躍っていました。そういった点は自分の職業観と反していましたが、地味に人々の生活を支えるひたむきな業務にとても共感することができました。
営利が目的ではないうえ、消防は警察と違い”敵”も生まれない職業ので、争いが大変苦手な自分にはとても向いていると感じることができました。そして何よりも、「この健康な自分の身体そしてこの強い気持ちをこういったことに使わないで、一体他の何に使えばよいのか?」という強い疑問が湧いたこと、それはその後消防を辞めるまでの仕事の原動力ともなりました。
諸事情もあり大学院を中退して就職した方がいいと判断し、翌年4月にはもう東京消防庁の消防学校に入校していました。その頃から「人の幸せを守る。不幸を最小限に食い止める。被害を被った人の心を少しでも癒す。」といった目的が自分の生きている理由になりました。消防を辞めてしばらく経った今でもその気持ちを忘れていません。
余談になりますが、自分の周りに消防の関係者は皆無でしたし、消防学校入校当時でさえ、映画「バックドラフト」はおろか、消防を舞台としたドラマや番組等を一度も観たことがないほど、受験前までは消防に関心や関わり合いが全くありませんでした。サリン事件や阪神大震災さえも直接的な動機付けになりませんでした。
今更ながらそういったことを思い返すと、自分は消防の仕事そのものではなく、ただ素朴な理念に憧れて消防士になったのだということがよくわかり、全く未練なく辞められたのにも我ながら納得がいきました。